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里山辺かるた「か」

更新日:2026年9月30日更新 印刷ページ表示
兎川寺の境内には松本藩主石川数正の墓が建っています。正式には『供養塔』ですが、ここに建つということはいかに兎川寺と石川氏の結びつきが強固であったかを示すものでしょう。
兎川寺は寺伝によれば聖徳太子創建の寺で、今から千三百数十年前の開山といいます。建物は文化四年(一八〇七)に焼失し、文政三年(一八二〇)に再建されたものです。住時は真言・天台各十二坊を有する大寺であったといいます。境内に枝垂桜の古木があり、今も美しい花を咲かせています。
因みに、石川数正の供養塔の存在は全国に数ヵ所が知られていますが、お骨の葬られているいわゆる『お墓』の存在は定かではないようです。
か

よもやま話(里山辺の古刹・名刹Ⅰ)

兎川寺は「聖徳太子創建」と『寺伝』に伝わる古刹です。創建時は上金井地区の山中に在ったとのことです。
住時は天台・真言を兼帯し、各十二坊が建つ大寺であったと伝わりますが、多分「渡来人の須々岐氏と関係し、須々岐水神社の神宮寺として両者は切っても切れぬ関係にあったもの」と研究者はみています。
その後、小笠原・石川両氏の祈願所として大切にされます。数正夫妻の供養塔の存在が、それを雄弁に物語っています。
明治初期、廃仏棄釈の嵐の中で、寺は一時廃寺され、『兎川学校』となりますが、旧檀家の皆さんを中心とした地域住民の熱意でみごと復活し、同時に山辺の誇り『山辺学校』を誕生させました。

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