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里山辺かるた「や」
更新日:2026年9月30日更新
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八坂神社は古くから天王宮または牛頭天王と称され疫病封じの神として、小松の郷の人々に崇敬されていました。明治四年(一八七一)に八坂神社に改称され、現在に至ります。小松集落は林城に関係してできたといわれ、南北小松は本来一体の集落でしたが、薄川の付け替えに伴い、分断されるに至りました。本殿は木造一間社流れ造りで延享二年(一七四五)に再建されたものです。美しい茅葺に社叢の緑がよく映えます。

小松地区の氏神社である『八坂神社』は、古くは『天王宮』または『牛頭天王』と称され、開運・疫病封じの神として、住民に崇敬されていました。
小松村が成立した頃、薄川は今よりずっと北寄りの、針塚古墳に近い辺りを流下していたと推定され、現在の小松橋から北側が村の中心地だったと思われます。林城をとり囲む重要な地域だった筈です。後に流路が付け変えられ、南北の小松村が成立しました。
牛頭天王は京都の『祇󠄀園社(現八坂神社)』の御祭神であるため、明治の神仏分離令を機に『八坂神社』と改称されたものと思われます。三間社造りの美しい茅葺の社殿は、平成二十四年に松本市宝に指定されました。
小松村が成立した頃、薄川は今よりずっと北寄りの、針塚古墳に近い辺りを流下していたと推定され、現在の小松橋から北側が村の中心地だったと思われます。林城をとり囲む重要な地域だった筈です。後に流路が付け変えられ、南北の小松村が成立しました。
牛頭天王は京都の『祇󠄀園社(現八坂神社)』の御祭神であるため、明治の神仏分離令を機に『八坂神社』と改称されたものと思われます。三間社造りの美しい茅葺の社殿は、平成二十四年に松本市宝に指定されました。

